第2回 カエデと日本
カエデのほとんどが北半球の温帯に分布しています。 どのくらいの種類があるかというと、日本からヒマラヤにかけてのアジアで約90種 、ヨーロッパに13種、北アメリカに26種。と、以外なことに北アメリカよりアジアが圧倒的に種類が多いのです。
そんなカエデの大半が落葉樹。寒くなってくると美しく紅葉します。
では紅葉はどのようにして起こるのでしょうか。
そのメカニズムとざっというとこんな感じです。
ふだん葉は葉緑素が光合成で得た養分を必要な部分に送っていますが気温が低下して くると養分を送る働きが鈍ってきます。送れずに葉にたまってしまった養分が葉の色素を赤色に変化させ、紅葉となる・・。
その養分というのが糖分です。ですので、糖分を多く含む種類の植物ほど美しく紅葉 します。糖分の多い植物を例にあげると、バラ科、ブドウ科、ニシキギ科、ウルシ科、ツツジ科、そしてカエデ科。
シロップを作れるほどの糖分をもつカエデが入っているのもうなづけますね。
最初にお話しした分布状況からみると、東アジアの各国ではどうやらカエデは人間との関わり合いが深い植物のようです。
日本でも古来からカエデは紅葉する木の代表とされ、紅葉を愛でる観賞用の植物として今でも多く栽培されています。
カエデ科のモミジを「紅葉」と書くことがあります。これは平安時代からのことで、それまでは「黄葉」と書かれていました。カエデ科の中でも特に美しく紅く 紅葉するイロハモミジやオオモミジなどのイメージがそれ以降「紅葉」と呼ばせるようさせたようです。唐代の詩人、白楽天が詩に詠んだ「林間に酒をあたためて紅葉をたく」という句の「紅葉」は、日本ではカエデとして解釈しています。
日本でも文人は古くからカエデを観賞し、美しさをたたえてきました。
『万葉集』や『源氏物語』にもでてきますね。古美術にもしばしば現われてきました。
平安時代の『彩絵桧扇』はハギとカエデ(モミジ)を描いていますし、桃山時代の『高雄観楓図屏風』(東京国立博物館所蔵)はカエデ(モミジ)の木の下で武士と町人がカエデ(モミジ)見物の宴を開いている図になります。
江戸時代になるとカエデ(モミジ)の美術はますます盛んになり、蒔絵、陶磁器、織物などの模様にも広く使われるようになりました。
じつは意外なことに『高雄観楓図屏風』のように自然の中に入ってカエデ(モミジ) を観賞し楽しむ風習は日本以外ではないのです。
モミジ見物、モミジ狩りがいつごろから始まったかは明らかではありませんが、自然を「見れど飽かぬ」と接した万葉人の時代からあったのではないかと思われます。日本人固有の美意識と呼べるかもしれませんね。
『赤字七宝もみぢ葉模様唐織』という徳川時代の織物は、ハウチワカエデの葉を並べたとても美しいデザインです。このようなカエデ(モミジ)の美術の伝統はもちろん現代の日本にも及び、菱田春草、横山大観などの名作にもなっています。
メープルといってしまうと外国のものというイメージが強いカエデですが、実は日本の文化とも深く長い結びつきのあるとても身近な植物だということがうかがえますね。
日本では観賞物として、他の地域ではメープルシロップにして食材としているカエデ。同じ植物でもそれぞれの文化によって用途は様々なようです。